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 地下鉄や電鉄といった電車が集まる大きな駅を降りて街中を歩くと、カップルや子供連れの夫婦等が溢れている。
 更に彩りを与えるように、クリスマスソングや店先や木々に取り付けられたイルミネーションが辺りを賑わしていた。
 街行く人達が浮き足立つのも頷ける。今日は十二月二十四日、クリスマスイブなのだから。
 私は付き合い始めてから三年は経つ、和良との待ち合わせ先へと向かっていた。夕方から夜に差し掛かろうとする今、ようやく仕事が終わったばかり。自然と足が忙しなく進む。
 約束の時間は、午後七時。間に合うかどうかを確かめるために腕時計を見ながら、待ち合わせ場所につく時間を逆算する。
 今の時間は五時半を少し回ったところだ。
「和良との待ち合わせ時間まで、まだもう少しあるなあ」
 よし。このところ仕事尽くめ手忙しくてプレゼント一つ買えなかったから、どこかに寄って行こう。
 そう決めて顔を上げると、丁度良くショッピングモールが目の前にあった。
 入って男性用の服売り場に行く途中、クリクリとした大きな目に涙を浮かべながら周囲をしきりに見渡している六、七歳くらいの子供の存在が目に付いた。近くにそれらしい人がいないために、どうやら両親とはぐれてしまったらしい。
 人で賑わっているというのに、その子供の相手をする人は誰もいない。私は不憫に思って子供に歩み寄り、膝を折って視線を合わせた。
「あなた大丈夫? お母さん達とはぐれたの?」
 見知らぬ相手だからだろうか。訊ねると、子供は怯え気味に頷いた。
「じゃあ、迷子センターに連れて行ってあげる。もしかしたらお母さんが捜してるかもしれないからね」
 私はできるだけ優しく笑いかけながら子供を宥めた。それが伝わったのか、子供は怯えながらもほんの少しはにかんだ。
 可愛い。図らずもそう思ってしまいながらも、子供の手を引いて迷子センターへと向かった。
「あのう、すみません。じつは迷子が……」
 迷子センターまで来た私は子供を頼もうと思い背中に手をかけると、その子は私の服の裾を強く握ってきた。
 またしても知らぬ相手のところに、一人置いてきぼりにされるということが嫌だったのかもしれない。
 私を見上げる子供の眼差しが、見放さないでと訴えているように真剣で、それ以上の言葉が出なかった。
「迷子をお捜しですか?」
 係員の人が、途中で言葉を切って子供を見つめている私へと問いかける。
「いえ、違うんです。どうやら間違えてしまったようで、失礼します」
 私は慌てて首を左右に振ると、子供の手を取ってそこから離れた。
 店員から見たら、さぞかし私の行動は挙動不審に映っただろう。
 和良との約束の時間が頭の中でちらついたけれど、こんな小さな子にあんな顔をされたら放っておけないじゃないか。
 そんなこんなで結局、私は最後まで親御さん捜しに付き合う羽目になってしまった。

 約束の時間はとうに過ぎ、もちろん私は大遅刻。急いで来ては見たものの、和良は不機嫌な表情を隠すことなく立ち尽くしていた。
「……遅い。こっちはどれだけ待たされたと思ってるんだよ!」
「な、なによ。いきなり怒ることないじゃない」
「怒るようなことさせといて、そういうこと言うのかよお前は!」
「…言うわよ、言っちゃ悪い!」
 和良の物言いにカチンときた私は、顔を合わせた途端一も二もなく大喧嘩。
 クリスマス一色の雰囲気に呑まれている周囲にとって、とてつもなく縁起の悪い醜態を晒してしまった。
 それ以上に私は、周囲を照らす陽気な光の隅に追いやられた影のように、暗い気持ち一色に包まれてしまった。
 ここまでくると溜息をつく気さえ起きない。
 クリスマスが終わり、年が改まれば、一緒に楽しく初詣に行く予定だったのに。他にもしたいことは沢山あったのに。
 向こうは連絡もなく何時間も待ち惚けを受けたわけだから、私が悪いのは認めるしかない。けど事情くらい聞いてくれたっていいじゃない。それをいきなり怒鳴るなんて酷すぎる。
 そういった思いが頭の中をグルグル駆け巡って、おかげで私はほとんど何も手につかずに泣き寝入り状態だ。
「裕香、いつまで私の家にいるつもりなの。もう大晦日だよ、いい加減に邪魔」
「酷い。傷心中なんだから慰めてよ」
「人の家に何日も入り浸るあんたに、そんな義理なんてないわ」
 美香子の一言がグサリと胸に突き刺さり、拗ねた私は近くにあった抱き枕に顔を埋める。
 和良と大喧嘩をして以来、私は家に帰る気が起きずに美菜子の家に厄介になっていたのだ。
 家に戻って一人になってしまったら嫌でもそのことを思い出してしまう。向き合わなくてはいけなくなると、わかっているから帰る気が起きない。
「あんたいい加減に、ちゃんと鈴原君に遅れた理由言ったわけ?」
 呆れたように問いかける美菜子に、私は抱き枕に顔埋めたまま無言という形で応じた。
 それを伝えていないと解釈したらしい美菜子が、あからさまに信じられないといった顔で深い溜息をついた。
「それを言わないでどうするのよ。仲直りしたいんでしょう?」
「……それはそうだけど、あれから和良からメール一つもないんだもの。連絡がくるかもって思いながら待ってたら、自分から言い出し辛くなったんだよね。それに今更こっちから伝えても、言い訳染みてるみたいでさ」
「それだから駄目なのよ。悩む前にまず行動。当たって砕けて、それでも上手くいかなかった時には慰めてあげるわよ」
 このままではいけないということは、言われるまでもなくわかっている。だからこそ美菜子の清々しいまでの正論は、今の私には痛い。
 そんなときテーブルの上にある、美菜子の携帯が鳴った。美菜子は電話に出ると、チラリと私の方を一瞬見たかと思うと背中を向けた。電話の相手に向かって、うんうんと相槌を打っている。
 その仕草が、なんだか妙に引っ掛かる。
「もう家を出て、向かってるんだね。あたし? あたしなら大丈夫。裕香を追い出して待ってるから。うん大丈夫、任せておいてよ」
 言うと美菜子は電源を切ると携帯をたたみ、私へと振り返るとニッコリと満面の笑みを浮かべた。
 思わず後ずさりしたくなるほど、私は嫌な予感を感じた。
「そういうわけだから裕香は家に帰ってよね。彼氏がこれから迎えに来て、一緒に初詣に行くんだから」
「なによそれ。私一人にする気なの」
「だって自業自得じゃない。喧嘩する原因を作ったのも、仲直りしたいとか言いながら理由を鈴原君に言わずに人の家でイジケてるのも、全部あんただもん」
 すべてが事実なだけに、私は少々怯んだ。だが自慢はできないものの、ここまできた意地がある。いまさら引き下がれるものか。
 そもそも最初から簡単に仲直りできたら、こんなに悩んだりはしないもの。
「いくらなんでも友達甲斐がなさ過ぎるよ!」
「なんと言われようと、これ以上は駄目だからね。さ、帰った帰った」
 美香子は持ってきた衣服の入った鞄を私目掛けて放り投げる。そして玄関先へと無理に押し出され、結局私は追い出されてしまった。
「ちょ、美香子のバカ! 本当に追い出すことないじゃない!」
「い、や、よ。ちゃんとまっすぐ家に帰りなさいよね。寄り道なんて駄目だからね」
 どんなに叫ぼうが訴えようが、しっかり鍵まで閉められては無駄だった。静かな闇夜に自分の声が木霊する。
 それにこれ以上騒げば、間違いなく近所迷惑になる。ここは分譲マンションなのだ。クリスマスイブのような醜態を、ここでも晒したくはない。
 ああ虚しい。ガックリと肩を落とし、私は仕方なく自宅へと歩き出した。
 一人になると、自然と和良との喧嘩の場面を思い出してしまう。
 それが嫌だからといってこんな夜遅くに、他の友人宅へと行こうにも受け入れてくれる所はないかもしれない。
 美菜子みたいに誰かと初詣に行く約束をしているかもしれない。もしそれが恋人同士であれば、あきらかに邪魔者なのは私の方。
 でもすぐに帰りたくないから、どうしても家に向かう足が遅くなってしまう。
 その道中で、除夜の鐘が聴こえた。もうすぐ新年が明けるのだろう。
 その音を聴きながら歩いていくけれど音が反響しているためか、遮る物がないほどに辺りが静まり返っているためか、あまり遠のいているという感覚はない。
 静寂の中で奏でられる鐘の音がそうさせるのか、自分の心境がそうさせているのか、闇が一層深く濃くなっていくように感じられた。
 そうしているうちに鐘の音が終わり、変わりに新年を祝う歓声が上がる。立ち止まると、私は俯いた。ほんの少し泣きたくなった。
「まさか本当に、新年を一人で迎えることになるなんて」
 しかもこんな形で――
 寂しさを紛らわせるために呟いたけれど、それは逆効果にしかならなかった。口にしたことで、胸に沁みるほどの実感が込み上げる。
 それが全身に伝わると、足がそれ以上動かなくなった。
 悪いのは私。意地を張っているのも私。
 ちゃんとあの子供を迷子センターに預けていれば、最初からこんなことにはならなかった。
 でもそれをしなかったのは、あの子供を放っておけないということもあった。けど一番の理由は、私と和也の出会いも似たような形だったから。

 私と和也が出会ったのは、今から五、六年前。
 場所は、地下鉄と直結している大手ショッピングセンター街。そのため人の数は凄まじい。
 そんなとき道に迷っている和也に尋ねられたことが始まりだった。
 最初はナンパの一種かと思っていたけれど、人の波に飲まれて本当に道に迷っていただけだと知ったときには、お礼を言いながら立ち去る彼の姿に思わず笑ってしまった。
 それから一週間経った頃だろうか。
 同じ通りを歩いていた私の目の前に、道を教えてくれたお礼がしたいからと和良が再び現れた。
 どうやらこの一週間、そのためだけに時間が許す限り私を捜して待っていてくれたらしい。
 その気持ちに押し負けて、私は承諾した。以来友人として付き合うようになり、気がつけばいつの間にか恋人として傍にいるようになっていた。
 出会い方がそうだったから、あの子供の手を振りほどけなかった。だから理由を訊ねずに怒る和良の姿に、納得がいかなかった。
 仲直りしたいと思っていても、肝心なところでそれが意地となって胸の奥に留まり続け、それを押し留めていた。
 それに事情を説明して謝ろうともしなかったのは、言わなくてもわかってくれる、伝わってくれている。数年越しの付き合いが、いつの間にかそう思ってしまっていた。
 言っても伝わらないことはある。けれど言わなければ、もっと伝わらない。そんな当たり前のことにさえ気がつかなくなるほど、あまりに近い存在になっていた。
 寒さだけではない別のなにかが胸の奥で燻り、次第に込み上げ、肩が震える。口からはく息は、空に浮かぶ雲のように白い。
 今からでも間に合うだろうか。意地なんて張らずに素直に謝れば許してくれるだろうか。
 気持ちがそちらに傾きかけた頃、携帯のメール着信音が鳴った。この着信音は和也だ。
 私は慌てて携帯を取り出し、開ける。
 ――裕香へ
 出だしには、そう書いてあった。
 その先は遅刻した理由を美菜子から聞かされて、今私の家の前で待っているということ、それによるクリスマスイブの謝罪。
 本当は直接会って謝りたかったそうだが、照れくさくなったということと、帰りが遅いから心配になってメールで連絡することにしたということが書かれていた。
 そして最後に書かれた一言は『明けましておめでとう。これからも宜しく』だった。
 ようやく美菜子が、私を家から追い出して帰らせた意味がわかった。あの電話の相手は、和良だったのだ。
 今まで張り詰めていた糸が緩まり、肩から力が抜け、私は思わず吹き出してしまった。嬉しすぎて、涙が出てきそうになった。
「だったらちゃんと口で言いなさいっての」
 すぐに帰らない私がいけないのだということを棚に上げて、笑みながらここにはいない和良に八つ当たりする。
 怒りや寂しさなんてどこかへ吹き飛んでしまい、逆に胸の奥から温かいものが込み上げる。
 和良の謝罪メールと、遅刻の理由を理解してくれたこと。友の有り難味を再確認させられたこと。
 新年早々そのことに気づかせてくれた、この贈り物は心から嬉しい。これ以上を期待したら罰が当たってしまう。
 そう思えてしまうほどに胸の奥が感謝で一杯で、私は早速電話をかけた。
「もしもし和良、今から逢える? だったら一緒に初詣行かない? そう二人で。私からも伝えたいことがあるんだ。それからどうしても行きたいところがあるの」
 私は自分の住まいであるマンションへと向かいながら、和良に提案する。和良は快く承諾してくれた。
 私の方からもきちんと謝ったら初詣へ行って、その帰りは美菜子に逢って、どんなお返しをして驚かせよう。
 そう思いながら歩く私の足は、自分でも思いがけないほど軽やかに弾んでいた。


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