10分探偵キャビネ・外伝
「セピア通り・鳩激突事件〜厳冬に抹茶カステラを追う!」
モノクローム。
街の名と同じ技術者の手によって造られた、大時計塔で有名な街である。
……裏を返せば、それ以外では全く有名なものはない。
ただ一人、少し奇妙な探偵を除いては。
そろそろ12月になるという寒い朝、エルは古いアパートの階段を登っていた。
薄い色の金髪を無造作に三つ編みにし、上品なワンピースを着たこの少女は、年若いながらも、このアパートに
住む探偵の助手なのである。
いつ建てられたのかもわからない建物の、ぎしぎし悲鳴をあげる階段を登りきると、
これまた一層ぼろぼろな扉がある。「キャビネット探偵社」と年季の入った小さな看板が打ちつけられてはいるが、
普通の人間なら、こんな得体のしれない場所より、大通りの小綺麗なオフィスの別の探偵社に行くだろう。
日はとっくに昇りきり、街で一番高い時計塔にかかっているというのに、入り口の札は「Close」のままになっ
ている。エルはため息をひとつつくと、札を「Open」に直し、その部屋へと入っていった。
「キャビネ先生、戻りました。……私が戻るまでに少しは片付けておいてください、と言ったのに」
部屋は酷い有様だった。
床にこそ物は散らばっていないが、壁の本棚には大小様々な本が所狭しとねじ込まれ、
棚や机、テーブルなどには様々な書類や本が乱雑に置かれている。
地震が起きた時のことは考えたくないような部屋だ。
そんな部屋の中央、恐らくは元は多少は値の張るものだと思われる革張りのソファーの上に、
一人の青年が寝転がっていた。新聞を顔の上にのせ、寝息を立てている。
エルに声をかけられたものの、起きる様子は全くない。
「……そういえば、頼まれていたヒヨコ堂の抹茶カステラ、しばらく販売停止だそうですよ」
「何ィッ!!本当か、エル!!」
……が、その一言で飛び起きた。
寝癖なのかそういう髪型なのか。薄灰色の髪はぼさぼさで、ソファーで寝転がっていた所為か、
着ているスーツもよれよれである。お世辞にも小奇麗とは言えないこの青年が、「キャビネット探偵社」の
唯一の探偵にして社長、キャビネなのである。
「俺はアレが楽しみで生きてるんだぞッ!アレがなきゃ俺は……俺は……普通のカステラを食べなきゃいけないじゃないかッ!」
「いいじゃないですか、偶には普通のカステラでも。」
まるで明日あなたは死にますよ。と医者に言われたように取り乱すキャビネとは対称的に、エルはきっぱりと言い放つ。
「まさか……なんかこう、冷凍のものを当日作りたて!とか言って販売して業務停止させられたとかじゃないだろうな?」
「……なんか具体的な例ですね。まあ、よくは知りませんけど、"店主が怪我をした"と店の前に貼り紙が貼って
ありました」
「怪我?バナナの皮でも踏んで滑って転んだのか?」
「さぁ……そこまでは」
エルの言葉を聞くと、キャビネはソファーから立ち上がる。
「よし、エル。今から出かけるぞ」
「え?……はぁ、珍しいですね」
いつもは私に雑用を押し付けて寝てばかりいるのに。
……という言葉が思わず出掛かるが、さすがにそれは飲み込んでおく。
「"怪我をした"ってのが気になるし、ちょっと話を聞きに行ってみよう。……暇だし」
「別に構いませんけど……」
「ていうか抹茶カステラが食べたいし!言ってたら益々食べたくなってきたし!!
いつ販売再開するか聞いとかないと!!!」
「……そんな理由ですか」
ため息混じりにエルが言う。偶にやる気があると思ったら、これだ。
キャビネット探偵社からほど近い場所、およそ徒歩三分。
モノクロームの街の大通りから一本はずれた、やや寂れたセピア通り。
2人が抹茶カステラで有名な「ヒヨコ堂」に到着すると、店の前には先客がいた。
赤い髪を束ね、長い丈のコートを着た、まだ少女と言ってもいい年齢の女である。
怪盗からの予告状を発見した刑事の如く、それはもう真剣な表情で、店の入り口に貼られた貼り紙を見ている。
「お、あの人もここのカステラのファンみたいだぞ。ほら、あんなに貼り紙じーっと見てるし」
「……というか、なんか様子が変ですね」
エルの言う通り、確かに、少女の様子は変であった。
穴が開くのではないかというほど貼り紙を見つめた後は、何故か店の横にあるゴミ箱を開けてみたり、
隣の家との隙間を覗いたりしている。明らかに不審者である。
「あんなとこにカステラはないよなぁ」
のん気に言うキャビネ。こっちはこっちで、カステラのことしか考えていないらしい。
「先生、いい加減、カステラから離れてください。……あの人、一体何をしてるんでしょうか」
2人が話していると、少女はやっと、自分が見られていることに気付いたようだ。
くるりと振り向き、ずんずんと2人の方に近づいてくる。
「あ、こっち来た」
「来ますね、早足で」
「ちょっとあなた達!」
少女は言うなり、手帳を取り出す。手帳には市警のマークと、少女の顔写真。
「モノクローム市警のアールよ。ちょっと話を聞きたいんだけど」
「あぁ、不審者かと思ったら刑事だったのか……」
「何か言った?」
なんだ、と脱力したキャビネにアールが聞く。
「いやいや、何も!……えーと、それでなんで刑事さんがこんなとこに?何か事件でも?」
"事件"という言葉を聞くと、アールはえっへんと胸をはる。
「そう!この街始まって以来の大事件よ!特別に教えてあげるわ!」
「……はぁ」
「この店の店主がハトに激突されて土手を転がり落ちて大怪我をしたの!
きっとこれはこれから始まる悲劇の序章に過ぎず、市民はまだそれを知る由もなかった……」
「……はぁ」
突然モノローグ調で語り始めるアール。曖昧にうなずくキャビネ。
「だから!この事件を調べようって所長に言ったのに!
なんで調べるのが私一人なのよ!もっと皆この事件に関心を持つべきだわっ!!」
「……そりゃそうだろ、警察も他のことで忙しいだろうし」
半ば呆気にとられて聞いていたキャビネは、思わず本音を口に出す。
ハトが人に激突したくらいで、普通警察は動かない。
「じゃあ、あなた達が手伝ってちょうだいよ!明らかに暇そうじゃないの」
「いやぁ……まあ、俺達も店主に話を聞きにきたんですけど」
「それじゃ決まりね!はい、じゃー、君、まずお名前は?」
「はぁ……えーと、俺がキャビネでこっちが助手のエル……お?」
キャビネが紹介しようとした時、ちょうどエルはヒヨコ堂から出てきた所だった。
からんからん、と扉につけられたベルが軽やかな音をたてる。
「先生、アール刑事さん。店長さんがいらっしゃいました。話をしてくれるそうですよ」
「おお、エル。いないと思ったら」
「その刑事さんの話、長くなりそうでしたので」
エルはきっぱり言って、また店の中に引っ込む。
「さっすが、私の助手2号ね!さー、私達も行くわよ、助手1号のキャビネくん!」
「いつ助手になったんですか、俺……」
はりきっているアール刑事に連れられ、ため息をつきつつもキャビネも後に続く。
ヒヨコ堂に入ると、甘い菓子の匂い、そしてそれに混じって香ばしい匂いが漂っていた。
そして、その匂いの元である数々の菓子が並んだ棚の横、本来は客が待つ為の椅子に、
この店の店主、ジルが座っている。白い調理用の服を着た、まだ年若い青年である。
「やー、どうも、先生。すいませんねぇ、心配かけちゃって」
言いつつ、ひらひらと手を振るが、その手には包帯が巻かれ、顔にも大きな絆創膏が貼られている。
「"新作"を持って師匠のとこ行く途中、ハトが急にぶつかってきて。
自転車ごと土手に転がり落ちた時に利き腕をねんざしちゃったんですよねー。はっはっは」
怪我をしたというのにひたすらほがらかである。
"師匠"というのは、このヒヨコ堂の本店・風見鶏(ウェザーコック)という菓子店の店主、
そして彼の父親のことだ。恐らく、"新作"とやらを持って意見を聞きに言ったのだろう。
「ジルさん、そのハトに何かおかしい所はありませんでしたかっ!なんというか、爆弾が仕掛けられていたとか、
謎の組織のマークらしいものが刻まれていたとか、怪盗からの予告状が括りつけられていたとかっ!!」
何故かいきいきとした目で、アール口調がジルに聞く。
「いえ、ふつーにふつーのハトでしたよ」
が、ジルのあっさりとした答えを聞いて、がっくり肩を落とす。
「なんだ……何もないの?じゃー、もしかしてただのおっちょこちょいな人が怪我したってだけのこと?」
本人を目の前に酷いことを言う。が、のん気な店主はあまり気にしていないようだ。
「はっはっは、酷いですねー。僕だってハトが飛び出してこなけりゃ、普段は土手に転がり落ちたりしませんよぅ」
「でも、ハトがぶつかってきた理由はここに来てみてすぐわかったけどな」
店内を一通り見渡して、キャビネが言う。どうしてアール刑事は気付かないんだろうか。
キャビネの言葉をエルが続ける。
「豆、ですよね、原因は」
「え、豆!?……あ、そういえばさっきからなんかそんなニオイが!!」
言われてアールもきょろきょろと周囲を見渡す。
「……というか、それだろ、明らかに」
キャビネは、ショーケースの上に無造作に置かれていた、店主が積んでいたという"新作"の箱に近づき、フタを開けた。
こんなもの、推理するまでもない。
「何……コレ?」
「……もしかして、毒物ですか?」
箱の中身を見て、アールとエルが訝しげな顔をする。
そこに入っていたのは、ふんだんに豆が使われたらしい緑色のカステラだった。
「どうです?名付けてずんだカステラ!豆類をふんだんに使った新作で……あれ?豆?」
ジルも自分で言って気付いたらしい。これだけ豆の匂いがぷんぷんする物体を積んで、空腹のハトの前を通ったら。
「セピア通りの一本向こうは広場だし、観光客がエサをくれるから、ここら辺もハトが多いんだよな。
でも、今は冬で観光客は少ないし、当然エサが少ないから、ハト達も空腹ってわけだ。
こんだけ豆のニオイをぷんぷんさせてたら、そりゃハトも飛び掛ってくるさ」
キャビネの説明にアールも合点がいったらしい。
「そっか、そういえば私も広場でポップコーン食べ歩きしてたらハトの大群に襲われて、思わず発砲したこと
あるわよ」
「……何してるんですか、勤務中に」
ホントにこの人、刑事なんだろうか。
「ま、これで事件は解決ね!いやー、素晴らしい団結力だったわ!私達、いいチームになれそうじゃないの!!」
都合の悪いことは聞き流しているのか、それとも元より人の話を聞いていないのか。
アール刑事は満足気にキャビネとエルの肩をぽんぽん、と叩く。
「いえ、あの、刑事さん何もしてないんじゃ」
「不審な行動してただけですよね」
2人の言葉も聞いてはいない。
「特にキャビネくん、まるで探偵みたいだったわよー。びっくりしちゃったわ!」
「だからあの、言ってなかったですけど探偵です。ていうか俺のが多分年上……」
「じゃ、また何か有ったら協力をお願いすると思うから。これからもよろしくね!キャビネくんにエルちゃん!」
キャビネの言葉も聞かず、アール刑事は嵐のように去っていった。
「……ああいう人でもなれるんですね、刑事って」
ぽそり、とエルが言う。
モノクロームの街は今日もひたすら平和だった。
「セピア通りハト激突事件」から数日後の、キャビネット探偵社。
いつものように暇な事務所で、キャビネとエルは3時のおやつを楽しもうとしていた。
「ジルさんの怪我も大したことありませんでしたし、快気祝に抹茶カステラもいただきましたし、
良かったですね」
「これでしばらくは抹茶カステラの心配はしないで済むってわけだ。はー、やれやれ……」
と、キャビネがソファーにぼすっと座り込むと同時に、ばぁん!とキャビネット探偵社の扉が乱暴に
開け放たれる。息を切らして駆け込んで来たのは、先日のアール刑事である。
「アール刑事!?ていうかなんでここの住所知ってんの!?」
驚くキャビネにきっぱりとエルが言う。
「あぁ、そういえば先日名刺を渡しておきました。こんな刑事さんでも多少のコネにはなるかと思って」
何気に酷い言い様である。
当の本人はと言うと……恐らくここまで少なくとも通り2つは全力疾走した上、ボロアパートの不安定な階段を
駆け上がってきたのだろう。息も絶え絶え……だというのに目はクリスマスプレゼントを前にしたお子様のように
キラキラピカピカと輝いている。
……嫌な予感がする。
キャビネとエルは、互いに顔を見合わせる。
「キャビネくん、エルちゃん、大ッ変なの!この街始まって以来の大事件なのっ!!」
口にしている内容とは裏腹に、期待に満ちた声で暴走特急な女刑事はのたまった。
「あのー、アール刑事。"この街始まって依頼の大事件"は、この間解決したはずなんじゃ……
ていうか今日は探偵社、休みなんですけど」
「2人とも聞きたいわよね?むしろ協力してくれるわよね!」
無駄な抵抗だろうと思いつつ、キャビネが口を挟もうとするが、それもあっさり流される。
「……ダメだ、聞いてないな」
「仕方ないです。また協力するしかなさそうですね……」
呆れる2人にはお構いなしに、アール刑事は活き活きと事件についてを説明するのだった。
こうして、少し奇妙な探偵と、無口な助手と、騒がしい刑事の出会った事件は幕を閉じる。
「でね、今度は港の食堂で毎日必ずランチが誰かにつまみ食いされるっていう事件で……」
すぐに別の事件に関わることになりそうだが、それはまた、別のおはなし。
(終)