「ふぅ」
ちょうど坂を上りきったところで俺達は一息ついた。
見下ろす景色の中に、学校が見える。
俺達が通う私立高校は、北側が海に向かって拓かれ、それ以外の周りを山々に囲まれた盆地のちょうど中央部分にあたる場所にある。自然の豊かさをうりにする学校というものは往々にして田舎と相場は決まっているものだが、この私立高校のすぐ側には海岸沿いに市電が引かれ、休みともなれば都心部からの買い物客も訪れるので、駅周辺に展開する商店街は結構な賑わいをみせる。
「家が海側にあれば、通学がかなり楽になるんだけどな」
「健人の家は山側だから大変だねー」
 それを言ったらおまえもだけどな。まあこいつの場合は送り迎えがあるから苦にはならないのかもしれんが。
「開発が海岸部に集中しすぎて、こっちはまったくの未開の地ってギャップがありすぎるだろ。もうちっとこっちにも手をかけて欲しいぜ」
 都会と田舎が高校を境にして区切られていて、文明の差が如実に表れている。なにしろこっちにバスは一本も通ってないし、今や数百メートル歩ければ一つはあるとすら言われているコンビニすらないのだ。
「そうかなー。健人の言うこともわかるけど、ぼくはこのままがいいな」
 どこか遥か遠い場所を見るように、目を細めた宝船が言った。
「自然がそれほど好きってわけじゃないから、不便なのはぼくだって嫌だよ。ここは自然しかないしね。…でも、見慣れたものってなんとなく退屈に感じるけど、心のどこかで安心してる自分もあるんだ。――だから、何かひとつぐらいそういう変わらないものがあったっていいと思うよ」
 普段と変わらない様子でたんたんと喋る。
 
 ――まったく。
 無意識に俺は苦笑いの表情になっていた。
 ――見た目はぽーっとしてて何にも考えてないように見えるんだけどな。
 心の中で感嘆の息を吐く。
 普段のどこかぬけたような言動が嘘かのように、こいつは時々深いことを言う。そして俺はいつも驚くのだ。こいつは考えてないように見えて、そのじつ本当は身の回りで起こることに常に意識して何かを考えているのだろう。俺がこいつに毎日振り回されて、迷惑を掛けられてもなお友達でいるのは、もしかしてこいつのそういう部分が自分になんらかの影響を与えてくれるという思いからかもしれない。
その影響がいいものか悪いものか俺には判断がつかないが、こいつのことを尊敬してる自分がいる。それは悔しいが本当のことだ。
 ま、こんなこと本人には口が裂けても言わないけどな。
「はんっ。ナマ言ってないで学校行くぞ学校。あー宝船の無駄話のせいでかなり時間くったくった」
「それって結構ひどい言い草だよー」
「ほれ、行くぞ」
 ずんずんと坂を下る。
 実際話している間にかなりの時間が経っていたらしい、それまでちらほら見かけていた学生の姿がなくなっていた。自然と二人とも小走りになる。新学年になって早々遅刻なんかしたくもない。
「そういえば竜子ちゃんは?」
「あいつは生徒会の役員だからな、始業式だし朝起きたらもういなかったから先行ったんだろ」
「会計だっけ?」
「だな。ただ俺が思うにあいつ風紀委員のほうが絶対向いてると思うんだよな。腕っ節強いし」
「前そのこと竜子ちゃんに言った時、健人殴られて宙に浮いてたよね」
「あの時は一瞬意識がとんだからな。落下するとき思わずジェットコースターを思い出したわ」
「健人はデリカシーが穴あきチーズだからねー」
 欠けてるってことか?
「うるさい。でも、女性的な部分で繊細だよなあいつ。もっとこうあの力を使って学校シメるとかしたら快適な高校生活が送れるのにな……お、静奈ちゃんだ」
 前方の曲がり角から、静奈ちゃん――神末静奈(かみずえしずな)教諭26歳独身女性――がスクーターに乗って出てきた。昔は俺の家の隣に住んでいて小さい頃から面倒を見てもらっていたのもあって、俺は学校でも静奈ちゃんで通している。本人はそういうことに全く頓着しないタイプで、名前で呼ぶことにたいして何か言われたことは一回もない。ちなみに趣味はギャンブルで、不良少女がそのまま大人になったような性格だ。
 静奈ちゃんは俺達に気づくと、スクーターの速度をおとした。
「二年になっても相変わらずだなお前ら」
 言葉の内に、暗に遅刻のことを含ませる。
「いえ、まぁこいつのせいで」
「人のせいにするのはよくないよ健人」
「ふん、ゲイよろしく仲が良いことだな」
 静奈ちゃん、なんとなく不機嫌そうだな。
「いえ、ゲイじゃないんで。…静奈ちゃん、なんか機嫌悪くない?」
 俺のその言葉に、静奈ちゃんは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「実はな、昨日パチンコ打ってたら隣のアホがくわえタバコしだしてよ。その煙がこっちに流れてきやがるから、2,3発わき腹に肘打ちして丁寧に注意してやったら、そいつ警察呼んできやがった」
 なんで注意で止めておかないんだろうこの人は。それにパチンコするならタバコぐらいしょうがないと…思わないんだろうな。
「あー…それは大変でしたね」
「本当にな。おかげで半日サツと一緒でろくに遊べなかった。せっかくの夏休み最後の休日だったってのに。あの白髪頭今度会ったら首ねじ切ってやる」
 怖ッ。この人なら本当にやりかねん。
「あーあたしは不幸だ。ついでだから健人、おまえにも不幸を分けてやろう」
「いえ、いらないデス」
「もらえるものはもらっといたほうがいいよ、健人」
「頼むからおまえはちょっと黙っていような」
 からむと話がややこしくなる。
「お前ら、当然まだクラス替えの結果知らないよな?」
「ええ、まあ」
 まだ学校に着いてもいないしな。
「ま、そういうことだ」
「……はい? いや、意味がよく…」
「迷わず行けよ、行けばわかるさ」
 そう言って親指をグッと立てると、静奈ちゃんのスクーターは爆音をあげていつのまにか目の前まで来ていた校門に、一気に入っていった。
 ていうかあの爆音、一体何CCのエンジン積んでんだろ…。絶対規定のものじゃないな。
「行っちゃったねー」
 宝船がのほほんと言う。その様子は明らかに他人事だ。
「……意味わかんねぇ」
 しかし意味はわからないが危険なスメルがぷんぷん匂った。
一瞬登校拒否の文字が甘美な響きをもって脳裏に浮かぶ。が、それも殴りこみをかける勢いで家に訪問してきた静奈ちゃんが、学校来いや! とドアを蹴破ったところで霧散する。
 まあいいか。
考えても仕方ないことは考えないことにするのが変人と付き合っていくための処世術だ。
 俺は2年に進級して初めて、高校に足を踏み入れた。



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